昭和47年4月20日 春季大祭
                     中村良一


 神様が見つめてござる。私共も神様を見つめておる。見つめ見つめられておろる中に、神様を、いよいよ、確信し、同時に、若先生が申しておりました、自分の心と言うものを確認してお出でられて、そして、宮の陣の教会布教と。あのお話を頂かせて頂いておりましたら、本当に、それこそ、涙なしには頂かれないお話でございましたですね。確かに、神様に見られておる。または、神様に聞かれておる。いわゆる、神様が見ておいでの世界、聞いておいでの世界に生き抜かせて頂くという事が、私は、信心者の生活でなからなきゃならんと思います。けれども、自分の、いわゆる、心の確認がないために、ただ神様とは、お願をしておかげを頂く事という様な、浅はかな考えで、神様を頂いておると言う人が、どれくらい多いか分かりません。自分自身の心というものを、本気で確認させて貰わなければいけません。そして、段々、おかげを頂いて、神様の働きを信ずると同時に、その神様のお働き、神様のお心に添い奉る、いわゆる、神も助かり氏子も立ち行くという様な道の開かれて来るようなおかげを頂かなければなりません。
私共、大坪一家が、おかげを頂きまして、金光様を分からせて頂いたのは、今の阿部先生のお爺様に当たられます。久留米の初代は、今、阿部先生のお爺様に当たられます。その先生が、久留米に布教に出られた当時に、私の叔母であります、または、婆であります、叔母、婆が、初めて、御親縁を頂いて、おかげを頂いたのが、そもそもの神様との出会いでございます。それから、段々、おかげを頂いて行くうちに、北野に、荒巻裕次郎先生がお布教になられる。その時分から、段々、信心も熱心にさせて貰うようになり。善導寺にお移りになって見えてからは、なおさら、熱心に、まぁ私どもの子供心で思いましてでも、熱心だったなぁと思います.そういう信心を続けて、そういう信心の中に、私共が育たせて頂いて、とにかく、金光様がなかったら、大坪の家はない。金光様がござらなかったら、私、大坪総一郎の今日も無いと言うように、段々、おかげを頂いて参った。
久留米、三井教会の初代のお取次のおかげで、私が、ない命を、何回もお助け頂いておる。そのお助けを頂いて、有難いという信心が、段々、続けられて、その有難いという信心、その感謝の気持ちが、今日のような信心になったというと、大変、聞こえが良いですけれども。実は、ただ、おかげを頂く、おかげを頂くというだけの信心であった。ただ、信心から離れる事だけは出来なかった。いわゆる、自分の心の確認というものはなかった。ただ、お取次を頂いて、お願をすれば、おかげを受けるという様な程度の信心であったのが、私が、外地から、裸同様で引き揚げてくるという事になってから、初めて、それこそ、翻然として、気付かせて頂いた事。今までの何十年間という信心は、ただただ、おかげを頂いて来たというだけの信心であって、真に相すまん信心であった。その結果が、今日のような状態になっておるのだと、その当時思うた。裸で引き揚げて帰ってきて、食べるに食がなく、着るに衣がないといったような時代を通らせて頂いて、初めて、気が着かせて貰った。というのは、何に気づかせて頂いたかというと、やはり、自分自身の心に気付かせて頂いたのです。なるほど、こう言うような心の状態で、おかげの受けられる筈はない。いや、本当のおかげが受けられる筈はないと分かったのです。ただ、お願をしておかげを頂くと。親先生のお徳でおかげを受けた。そういうおかげは、受けてきたけれども。ここに今、家族中の者が、裸で引き揚げて帰って来なければならないという事実に直面した時に、初めて自分自身の心というものが分かりだしてきた。そして、自分自身の心というものを、見極めれば見極めるほど、これで、幸せになれる筈はない、これでおかげの頂けれる筈はないというものが分かってきた。だから、信心をさせて頂いて、ご縁を頂いて、やっぱり、おかげおかげばかりを追うて参りました時代から、そういう大きな、これは、世紀の変革とでも申しましょうかね。あのような終戦、そして、あの混乱の状態にです。初めて、自分の心が分かりだした。そして初めて、本当の神様が分かりだした。
私は、何時も皆さんに、これを話すんですけれどもね。いわゆる、私の信心は、善導寺、三井教会、三井教会で育てられた。そして、善導された、善導寺です。そして、飯田のおかげを頂いた。飯田というのは、飯の田。いわゆる、あれやらこれやらが、ままになるところのおかげを頂いた。それが有難い。それが勿体ないという信心が、いわゆる、飯田から、勿体島に移ってきた。その、有難い勿体ないの信心が、椛目の信心であった。椛目とは、皆さんもご承知のように、木辺に花と書いてある、かばという字は。真というのは、心の花と言われております。心の花。それが真なのです。字引きにそう書いてあります。いわゆる、椛目で、いよいよ、有難い勿体ないがです。いわゆる、私の心の中にです、心の花が咲きだした。ところがです、段々、私一人ではない、私一家ではない、沢山の人が助けられるようになった、助かるようになってきた。そしてその、助かる皆さんも、自分自身の心の中に、椛目には、それこそ、心の花を咲かせげ行くところだ。おかげは、わが家で受けるのだという様な信心が、椛目で十何年間続けられた。だからね、信心はね、やはり真である。真とは、心の花だ。それをもっと言うならば、喜びの花だ。喜びの心。自分の心が、信心の喜びでいっぱい。そこにはね、暑いもなからなければ、寒さも感じんほどしのものであったという事を、今から思います。
朝の御祈念などにお参りさせて貰います。誰もお参りしてない。はぁ寒か時、はぁお掃除して貰う。廊下を一生懸命拭かせて頂く。もう足からは、あかぎれでこう血が出る、手もヒビでこうしとった。それで、冷たい水で、あの長い廊下を拭かせて頂いておると、それこそ、拭かせて頂いておる、この手に、熱い様な涙が、ぼとぼとこぼれよった。はぁしるしいからというてこぼれたのじゃなかった。どっから湧いてくるか分からんほどしの有難いものであった。心に花が咲きだしてきた。そういう心の花を求めて、また、多くの人達が、椛目へ椛目へと、当時集まってきた。そして、金光様のお許しを頂いて、教会にしなければならない。私も教職を頂かなければならないという様な事になって参りまして、そして、ここの合楽の地が定められることになり。親先生にも、ここにお出でて頂いて、ここを定めて頂いたんです。
そういう、例えば、心の花。椛目という事は、私は、この目が書いてありますけれども、そういう芽が出るところだと、私は思った。心に喜びの芽が出る。喜びの花が咲く。そういう真を、そういう喜びを、常に持ち続けた。常持である。みなさん、笑いよりなさいますけれどもね。こら、大変なことなのです。私は、こじつけて言いよるようにあるけれども、決してそうじゃないです。もうそれこそ、千年も万年も昔から、これは、神定められておることなんです。私は、そう信じます。そういう心を、常に持ち続けて、そして、合楽にゴールインであります。合楽というのは、楽が合うという。夫婦であるならば、私が助かるという事は、そのまま、家内の助かりに繋がっておらなければ嘘であります。私が助かるならば、子供が助かっておる事に繋がらなければ駄目です。私が助かるという事は、私に関わり合いを持つ人の全てが助かって行かなければなりません。神も助かり氏子も立ち行くという道。あいよかけよで立ち行く道。親と子が、一緒に、私の過去何十年の信心は、ただ、自分の心も分からず。いわば、汚れに汚れ果てて、それこそ、ずるい心、こすい心は、もう人間じゃから、商売人じゃから、こんくらいの事は、もう当たり前と思うとる。平気で駆け引きもする、嘘も言う。もう、詐欺一歩手前といった様な商売もやってきた。心が分かってなかった。そして、神様に、ごまかして貰うた。そして、お供えさえすりゃ、神様は許して下さるぐらいに思いよった。御用すりゃ助かるというような時代であった。そげなこっじゃなかった。自分自身の心が見えだした。自分自身の心が見えだしたら、なるほど、こういうような心で、こういう結果になるのは、もう当たり前だという事になった。
それから、私には、着る資格もなからなければ、食べる資格もないというのが、私の、何年間という、一椀のお粥さんで過ごした時代なんです。夏もなからなければ冬も無い。一着の夏服だけで過ごした時代は、もう私に、着る資格はないと思ったからです。そしてです、いわゆる、真を求める。いわゆる、自分自身の心の中にです。それも、私の場合はね、もう本当に、それは何というか、引いたなら足してみる、足したなら掛けてみるといった様な生き方でした。私の思うておる事は、本当に間違いでないならば、神様はおかげを下さる筈だという心に、何時も。だから、その生き方で、もし、おかげが頂けないなら、自分の心に喜びが湧かないならば、これは間違いだと、また、後へ下がってやり直すという生き方でした。私は、そういう意味でですね。本当に、良い事に気付かせて頂いとったなぁと思います。だから、人が何と言うても、答えに有難いとか、おかげというものが、はっきり、答えに出てきておるから、それを、ただ、一文字に包ませて頂いただけの事。これは、誰も知らない、自分自身のこと、私一人の事です。いよいよ、お導きを、善導された。良い導きを受けて、そして、神様のおかげを知った、飯田に。それが、有難うして、有難うして、勿体のうして、勿体のうしてという信心が、椛目に入った。椛目で、いよいよ、心の花が咲いた。真とは、真心とは、このようなものかと分からせて頂く様になったら、人が助かるようになってきた。その喜びに心を、そのまま、じっと、常に持つ続けさせて頂いて、合楽にゴールインした。これは、天地金の神様の、いうならば、願いである、いわゆる、神願である。神の願いが成就する。神の願いが地上になる。神様の悲願というのはどこか。ただ、私どもが、氏子が助かりすれば良いというのじゃなくて、神様ご自身も助かりたいと願っておられるのです。そこに、いわゆる、あいよかけよ。親の事は子が頼み、子の事は親が頼みという信心になってくる。私が助かるという事がです。その助かり方がです。私が楽をするなら、神様も楽になって下さる。もうあの氏子だけは大丈夫、あの氏子は心配はないと神様が安心して下さる。その安心が、私の心に、安心のおおみかげとして、頂けてくるというようにです。まず、やはり、自分自身の心を一つ、見極めさせて貰わなければいけません。そして、その心の見極めがつく所から、それを、いよいよ、大事にしなければおられない。研かなきゃおられん、いや、研かなければ馬鹿らしい。
私は、この心という事がね。誰でも心を持たない者は、魂を持たない者はない。誰でも、あると言いよるけれどもですね。いわゆる、確認してないです。生神金光大神天地金の神一心に願え、おかげは和賀心にあり。自分の心にあるのだ。しかも、その自分の心だけではない。その自分の心が和らいでくる、喜びに満ちてくる。そういう心に、おかげがあるんだと、はっきりお示しになっておられるのであるから。そういう、和賀心を目指させて頂く。いわゆる、和賀心時代を創るというのは、私が創るというのではない。天地金の神様の願いなのである。というて、神様だけで、お作りになる事はできない。その手になり、足にならせて頂く人が出来なければならぬ。ためには、そう願う人が、まず、和賀心を、一生懸命に追求し、求めて行かなければならん。そして、その和賀心におかげを頂かなければ嘘なんです。で、私は、こげな和賀心になっとると言うても、やっぱりその、難儀しよったもんじゃいけませんもんね。本当に、もう金光様のご信心はね、そういう一つの、証が立てられる道なのだ。教祖金光大神という方はです。そういう証をお立てになられた。だから、此の方金光大神が、話にして残しておくという、その話を見を以って行ずるならばです。もう、尽きぬおかげに恵まれるのであり、尽きぬおかげが約束されてある。その尽きぬおかげに触れておらないとするならば、私の、何十年前の信心で、ただ、お願をしておかげを頂く。そんならもう、金光様の事は要らぬ。何様でもよか。初めて、何十年ぶりに分からせて頂いた。おかげは和賀心にあるんだ。こういう心で、おかげの頂ける筈はないと分からせて頂いた所からです。そういう心になる事のために精進させて頂く。
色々、精進させて頂いた中にもね。私がね、もう、私の上に起きてくる全て一切の事。それは、損になる事もありゃ、恥ずかしい思いをする事があるかも知れん。腹の立つような問題もあるかも知れんけれども。どういう、例えば、分の悪い話であっても、それを黙って、受けて行こうという修行を私が始めた事でございます。今から思うと、この修行が、大変な修行だったなと、今に思います。それを、段々、私が分からせて頂いて、初めて分からせて頂く事がね。いわゆる、初めからそんな事じゃなかった。成り行きを大事にする。その成り行きを大事にする事によって、いよいよ神様のお力を頂く事が出来る。おかげを受ける事が出来た。そこで、私の上に起きてくる、その事柄というものを、成り行きというものが、そのまま、神様のお心であるという事が分かってきた。だから、最近では、その事を、御事柄として頂くようになってきた。合楽のみなさんはそれです。そして、最近はです、御事柄という事が分かってきたのであるから、不平があって良かろうはずがない、不満があって良かろうはずがない。そこで、いわゆる、黙って治めるという事になってきた。私は、このお知らせを頂いて、治めるという字ね。さんずい辺に無口と書いてある。さんずいという事は、自然に流れてくるという意味です。私のところへ、皆さんのところへ流れてくる、いろんな問題。それをね、黙って受けて行くという。
子供の姿の中に、親として、いわば、見るに見られない。どうか親として、一言言わなければおられないといった様な事もある。けれども、そういう姿を、自分の心の中に頂いて、私がお詫びをして行く、そして、私が願って行く。そういう所からです、子供達が、それこそ、言うて聞かせたり、して見せたりするよりも、もっともっと素晴らしいおかげの展開になってくる。その事を、私は、黙するという事は、百来の響きにも匹敵するものだと、私は言っております。私は、これは私の最近の体験です。黙する事の素晴らしさ、黙るという事の素晴らしさ。言うて聞かせて分からせるというのは、四角く分からせること。言うて聞かせて分からせる。そら、言うて聞かせただけしか分からん。強引に分からせる、ごろごろ引っ張って分からせる。これは三角で分からせるのだ。黙して分からせるという事は、もうそれはそれは、丸く丸く分からせる。そういう素晴らしいことなんだ。それが、どういう事かと言うと、神様が信じられてきたからであります。神様の働きが分からせて頂いて来たから、それが出来るようになったのでございます。
私は、そういう助かり、そういう助かりがです。神様が願いとしておられるのであり、また、そういうおかげを受けた時に、神様が助かって下さる。もう、あの氏子は大丈夫と安心して下さる。例えば、ことが起こっても、自分自身の心に、すぐそれを持ってくる。難儀な事が起こってくると、あれがあげん言うたからという様な事では、まぁだ、神様は、そういう事で、どれだけ、何千何万の信者が増えたって、そりゃもう、何にもならんですね。枯れ木の山の賑いじゃ。本当に、和賀心を目指させて頂いて、和賀心の、その有難さという事。それに伴うてくるところのおかげを受けて行くという事。そういう、私は、信心をです、そういう信者氏子にお取り立てを頂くという世界をです。私を中心にして、皆さんを中心にして、自分の周囲周辺に広めて行くという事が、和賀心時代を創って行く事だ。それが、世界の国々、隅々に至るまで、こういう心の状態になる事によって、人間が幸せになれるんだ。それは、心だけではない。それには人間の、必要なものは必要に応じて頂けてくるのだ、現れてくるのだという、いわゆる実証をです、私どもが、作って行かなければなりません。教祖様は、そういう、いわば、実証をなされた方だと、私は確信しております。なるほど、合楽であるという事が分かるでしょう。私が助かる事は、家内の助かりに繋がっておる。私が助かるという事は、私の周囲に関係を作って行く人達が、みんな助かって行く、楽になって行かれるという。それが合楽である。これが神の願いである。神の悲願である。神願成就というのは、そういう願いが成就して行く事だと私は思います。信者が増えるという、そんなこっじゃありません。問題は、私ども、一人一人がです。私の、過去何十年の信心の所から脱皮して、そして、私の心にあるんだと、自分の心を確認する。お互いがね、魂の世界。私共が、お国替えを頂いて後の世界。その魂の世界でです。私共が、今こそ、魂を清めておかなくてです。何時、だから、この世に私どもが生を受けたという事はね。私共の魂を認めて、私どもの魂を大事に大事に、それこそ、輝くばかりに研きをかけて行くという事が、この世に生を受けた、私は、第一の意義でなからなければならないと思う。それを知らずしてです。それを知らずして、お終いになる。
昨日、一昨日でしたか。夜の御祈念を、みんな修行生の方達が、交代で、夜の御祈念だけは奉仕します。ちょうど、三番目の、今年から、学院に参ります。幹三郎が奉仕をしておりました。御祈念をして、後のお話をさせて頂いておるのを聞かせて頂いて、私は、こっから聞かせて頂いてから、本当に涙の流れるような思いで聞かせて頂いた。有難いなぁと。もう若いとか年寄りじゃないなと。本気でね、本気で私が助かろう。本気で助かるためには、私の心を大事にしなければならないと気付いておるものの、いわば、魂から出てくる言葉と言うものは素晴らしい。心を打つ、心に響いてくる。
ちょうど、川端康成さんが自殺をされたという日の、その晩でした。私共が、小学校から、中学、高校、大学と言うように、勉強をして、学校をして行けば、学問は、段々、身についえ来るのである。頭は、段々、発達してくるものである。知恵が出来てくるのだ。というようにです。私共も、心をね、大事にして行くところの稽古をさせて頂いたら、段々、小学校から中学校、中学校から、高校、大学と言うようにです。自分の心が進展して行く楽しみを分からせて頂く事が信心だと言っております。もし、川端康成さんに、心を育てられる事の信心があったならば、あのような悲しい破滅にはならなかっただろうと結んでおります。私は、本当にその、いわゆる、心の時代だと、最近、みんなが、信心がなくても言うようになりましたけれども。心の時代だけでは行けません。心を確認するという時代からです。その心に、心次第で人間の幸不幸が決まるんだという事が分からせて頂いて。いわゆる、心の時代から、和賀心時代と言う事になって行かなければいけない。そういう、和賀心の時代が出来る事をです。それが、世界中の人達に分かって頂くという事がです。天地の親神様の、それこそ、悲しいまでの願いであると私は信じます。ですから、お互いの、一人一人がです、その神様の願いを受けて、私の心の中に、有難いというものを頂かせて貰おう。ほんなら、有難うなりたい、有難うなりたいじゃない。その幹三郎じゃないけれど、そのための修行が要る。そのための勉強が要るのだ。黙って治める、はぁ息子が言う事を利かんけん、黙っとった。一週間ばっかりは、ぐーぐ言うて堪えとった.ところが、もう十日めには、とうとう堪り兼ねちから、もうお父さんが、黙っとるこつなったら、登り上がってからち言うちから、言うなら、もうお終い。そこば辛抱なんです。ですから、黙ったら、すぐもう、おかげ頂くというのじゃなくて、そらもう本当に、だんまる事によってね、もう、目の目刻みに、おかげを受けて行くという事実も、幾らもありますけれども。私共が、大きな願いを立てさせて頂く、その大きな願いの前にです。私共が、黙ってすむ信心。言わんですむ信心。ただ、私の心の中に、いよいよ、有難いというものを育てて行くという事にです。楽しみを感ずる。それは厳しい事ではある。けれども、楽しいのである。
四五日前でしたかね、椛目の内田さんが、先生、さぁこげな不思議な事を、嫁が言うて来ましたち言う。三番目の息子が、左官をしよる。最近、とても良い嫁さん貰うた。そしておかげで、早速妊娠のおかげを頂いて、大分お腹が大きくなった。久留米の方へ住んでおります。ところが、最近、仕事の都合で、小倉の方へ一月ほど行っておる。嫁は家で留守を守っておる。そういうある日なんです。それこそもう、びっくりした。自分の着ておる、その蒲団に、真っ白いカバーがかかっておる。それにね、人間の形をした、人間の、このくらいばっかりに高さの人間が二人。後は、一つは、丸いような、それこそ、墨絵で書いても、あんなには出来ないと思われる様な影が映ったんです。それで、近所の人に言うたら、それはあんた、何か、そん、まぁ、言うなら、幽霊が取りついとるばいちいう様な。それから、気持ちの悪うして応えんから、それを持って、お母さんところへやってきた。そのお届けを聞きましたけれども、そういう事が、やっぱ、ある事実を、私も知っております。
久留米に、総代さんの池松つぁんと言う方がおられました。この方はあの、幽霊写真と言うのを見せて、何かで一遍、久留米の教会でお話になった事がありますね。東京に行っておる子供が亡くなった。両親が、写真を送ってくれと言うから写った。ところが、その間に、子供さんが亡くなった。そしたら、この親の真ん中に、ちゃんと、その子供が映っておる、ぼんやり映ってる。いかにその、いわゆる、魂の世界を否定する訳にはいきません。また、魂の世界と、魂と言うものをね。云々するなら、信心は成り立ちませんものね。そん時、私は、そのような程度でしたけれど、あくる日、それを、わざわざ持ってきたのです。そしてここで、見せて頂いて、それこそ、身の毛がずーんとするように思いました。はぁ、例えば、まぁだ、新婚早々の若夫婦がです。一月も別れておってです。今頃は、どんなにしとりなさるじゃろうか。今頃は家内が、どげな風にしとるじゃろうか。お腹の調子はどうじゃろうか、赤ちゃんが出来とるがと、その思い思われる思いが、一つになった時にです。そういう事になってきたのです。それを、私、神様にお届けさせて頂いたらね。林と言う字を頂いた。木を二つですたいね。林と言う字を。ははぁ、心が二つ、後半分のごと、お腹の中にござる赤ちゃんの魂。まぁだ、ここに置いてありますから、皆さん、ご覧になって下さい。そして、本当に、心と言うものがね。このような働きをもするという事。ただ、お願をして、おかげを頂く。ただ、お参りをしておかげを頂くではなくて、私の心が、おかげを呼ぶのであり、私の心が、おかげを受け止めるのであるという所に、お道の信心がいかない限りです。もう、何宗だって、何派だって、同じ事です。そんなら、もう低級視されても同じです。仕方ないです。いわゆる、私が、和賀心になってしまわねばじゃなくて、和賀心を目指すという事。そういう姿勢を作るという事。そして、それは幼稚園かも知れません。けれども、次は、もう小学校でなからなきゃいけん。ほんなら、いつまで小学校で良かろうという事ではない。それが、中学に進んで行かなければならない。そこから、今まで見えなかったものが見えてくる。聞こえないものが聞こえてくるという様な、私は、おかげになってくると思うのです。
みなさん、和賀心時代を創ると言われる。その和賀心時代を創らせて頂く事のための、一人一人が、一つの運動員とでも申しましょうかね。そういう、お互いが、自覚に立って、まず、私が、和賀心にならせて頂く事の精進をさせて頂いて、その和賀心にならせて頂く事のための精進をですね。ための、いうならば、方法、具体的な。どうすれば、人間の心が、和らいでくるか、喜べるか。和賀心を頂く事のためにはと言う、いわば、お話を私はもう、毎日毎日、二十何年間続けておる訳でございます。ただ、和賀心になれ、和賀心になれと言ったって、何もない時は、和賀心のごたるばってん、さぁ何かが起こってくると、もう乱れておるのは、それは、和賀心じゃない。和と言うのはね、絶対に、壊れないという心。不壊のもの。そういう心をです、目指しての信心。初めから、そうはなれません、稽古です。ですから、そこんところの、心の確認をして、その心を、いわば、導いて行くというかね。小学校から中学校へして行く。そういう勉強がなされる。だから、ここには、信心の稽古に来るところと仰るのです。拝み方の稽古じゃない。和賀心にならせて頂く事のための稽古なのであります。
いよいよ、半年後に、ここの合楽教会が誕生しまして、まる五年になります。そのために、お互いの信心も、一段と、有難い、変わった信心へなって行かなきゃならん。その記念事業として、只今ここに、西脇殿の御造営が始まっております。私共がです、それこそ、真心から、そうさせて貰わなければおられない心がです。段々、募って参りまして、例えば、今日のお供えにご覧になるように。とてもとても、普通のお月次祭ですら、特級酒のお供えさせて頂きよるのじゃけん。せめて、春の御大祭くらいには、最高のお酒をお供えさせて頂かにゃいかんと思うたと言うて、お供えをなさった方があります。その方の全部は、お供えが出来ませんでした、今日は。それが、どうでしょうかね、まぁだ、二年ぐらいの信心です。それは、ただ、おかげを頂くからではない。日々お参りをさせて頂いて、自分の心が豊かになって行く。自分ながら、時折は、自分の心を拝めるように思う事がある。こういう難しい難儀な問題を、親先生任せで、「はい」と言えれる自分が嬉しい。どうして、こういう信心を、もっと早く分からなかっただろうかと思う。大きな商売をしておられるけれども、さぁまた売れたまた売れたという様な事ではない。自分の心の中に、こういう事が、黙って受けていけれるという事が、有難うてたまらんのです。そういう信心に進んで行って、さぁ事、教会に何かという時には、それこそ、真心を込めての御用が出来ている。それがまた、次のおかげに繋がって行く。ですから、御用すりゃ助かるというのじゃなくて、そうさせて貰わなければおられない。自分の心が、そのように育って行く事がです。有難いというて、そこにおかげが現れてくると言うおかげでなからなければ、そういう様なのは紙一重ですよね。方一方は、ただそれはおかげを受けるかも知れませんよ。どんどん、お供えしてから、後は、またおかげを頂く。それではね、神様のお喜びになるおかげじゃないのです。金光様が、私どもが拝んでおる、天地金の神様の喜んで下さるというのは、いわゆる、合楽なのです。私の心がです、喜びに満ちてくる。和賀心にならせて頂く。その和賀心に伴うおかげである。だから、御用はさせてもらわなければおられないという事になってくるおかげであって、初めて、いうならば、神も助かり氏子も立ち行く。神様も喜んで下さるおかげとは、そういう事だと私は思うです。
私は、今朝の御祈念に、御理解六十一節を、みなさんに聞いて頂いた。尽きぬおかげを話にして残しておくと仰る。お互いが、尽きぬおかげを頂けれる信心を頂かにゃいかんのです、だから。話を聞くだけじゃない。ところがね、形式的に分かる、通り一遍だけ分かっておると、分かっておる人ほど、人の話は聞こうとしません。うん、そげなこつならちゃんと知っとる。けれども、和賀心を求める。より有難くならせて頂こうという信心なら、子供の言うておる事にでも、耳傍立てます。まして、それが信心の話であるならばです。もう、いよいよ、遠い近いは言うちゃおられん。その話を聞かせて頂いて、信心を進めて行こうという姿勢が生まれてくるんですけれどもね。ただ、形式だけを知っておる。形式だけを重んじる。ほらもう、特に教学者に多いですね。信心の事は、何でも詳しか、けれども、おかげは、一つも受けよらん。そして、そげな人には、自分の勉強した事だけは発表するけれども、人の話どん聞こうとはせん。これではいけません。やはり、話を聞いて助かるのです。教祖の神様は、尽きぬおかげを話にして残しておくと仰る。尽きぬおかげを、聞いた上にも聞かなきゃいけん。そういうおかげを頂かせて頂くという事がです。神様は助かって下さる。
昨日一昨日、若松の教会の松田先生が、見えられた。私がもう、裏へ下がっておりましたから、若先生と二人で、裏へやって来てから、挨拶に来て下さった。先生、この頃、お健康の方はどうでございますかと。おかげで、段々、おかげ頂きよりますけど、この頃からあーた、風邪ひいてから、四十日間も、私は、具合の悪かった。ようなりよるかと思えば、おうて帰りおうて帰りてから、四十日間悪かった。ちょうど、その頃、福岡の、高橋さんところの、年に一回の謝恩祭がある。だから、その謝恩祭におかげを頂かせて貰うて、お祭りが済んだ後に、文雄先生が、私を、どうでも、サウナ風呂に連れて行くという。はぁ、サウナ風呂てんなんてん、気色の悪勝ち、行った事なかもんだけんじゃけ、そげん思いよった。何か不潔のような所のように思うておった。もう風邪でん何でん抜くるちいう話ですけん、行きましょうちこう言う。ほんなら行こうかち言うちから、帰り寄りました。そらもう、ほらもう見事なものでした。駅の前のね、そのサウナ風呂にやらせて頂きました。百十度からの、その電熱の中に、真っ裸になって、ちゃんとはいっとる。それでもう、汗はぶるぶる。もう十分ぐらいしか入っておられん。それを、水の中に飛び込んでは、また入る。水の中には、まぁ三回ぐらい繰り返した。帰りには、もう咳が止まった。あくる日はもう、すきっとしてとった。ですから、その事を話てですね。私は、それでもう、サウナ風呂にやらせて頂いた。おかげでね、もう、ちょいと、あくる日は、もう風邪が良くなってしもうた。、そらもう、神様でも勝ちなさるこっじゃなかばいち私が言いましたら、笑っとる。どうでしょうか。はぁ親先生は、薬飲まんとか、あーとかち、もう飲まんでもおかげ頂きますけれどもね。サウナ風呂は、神様よりか利かっしゃるてんなんてんち言うちからと、思いなさる方もあろうかとも思うんですけれどもね。ほんなら、私の心の中は、神様だけしかご承知じゃないです。私の心の中には、もう一から十まで、神様のおかげで、サウナ風呂にやらせて頂いた。自分から行こうち言うたっじゃなか。神様が導いて下さった。もう一から十まで、神様のおかげで良うなったと思うておる。口には、神様よりか、サウナ風呂の方が利かっしゃるばいち言う。それがです、私は、あいよけけよだと思うですね。サウナ風呂も助かり、サウナ風呂の宣伝にもなり、そして、私の心の中は神様が見通し。あげん、口では言いよるけれども、心じゃもう、絶対、神様のおかげと思いこんでおるというのは、神様が見ておいでなのですから。神様も立ちゃ、サウナ風呂も立つというのです。ところがです、神様にもお願いして医者に行く。とても医者の薬が効いて、ほんなごと、医者の薬が効いたと思うとる。それで、退院して帰ってくると、おかげで退院してきましたち。家からまぁそれこそ、お神酒の一升持ってから、お礼に出てくるだけじゃん。はぁもうそりゃ、医者にかからんでもよかばい。おかげ頂くよち、言うちから、今度おかげ頂くと、今度はもう、そりゃ、その間に分からせて頂く信心。そらもう、酒一升ぐらいなこっじゃなかです。もうそれで分かる。どのくらいおかげと思うておるかち言うこつが。あら、神様のおかげも、ちっとあるばってん、やっぱ、あの医者どんな上手だったとという事になる。そういう考え方が、これに少しでも残っておるならばです。これは、いわゆる、あいよかけよにはならんのですよ。合楽にはならんのです。私の、口では、サウナ風呂は神様よりもきかっしゃると言いながらです。心の中には、もう一切が、神様のおかげで良くなったと思うておる。その思い込みを、神様が見ておいです。神様の顔も立ちゃ、サウナ風呂も立つ。
私は、私どもが拝んでおる神様とは、そういう神様だと思うんですよ。口で言わなければち言う事じゃない。心に思うておる事を、神様が見通しなのだから。聞き通しなのだから。それが、自分の心を心として、確認させて貰い。そしてその心をです、いよいよ、大事にする事に精進させて頂くような修行でもさせて頂いておらなければね。私が、松田先生にお話ししたような事は、言えないと思う。どうぞ一つ、いわゆる、合楽的助かりじゃなくて、合楽のおかげです、言うならば。私の助かりが、いうならば、私の相手になっておる人達が、全部助かって行くという事。それが、ほんなら、神様が助かって行って下さるという事。私が助かるという事は、神様が助かりなさるという事に繋がっておらなければならない。そういうおかげを頂くという事はです。もう他の事じゃない。和賀心を、自分の心の中に、いよいよ、高度なものに、いよいよ、広い深いものにして行く事の精進以外にはないと思うのでございます。ご挨拶が、長うなりました。けれども、やっぱり、皆さんの顔を見ると、一口言おうごとなってくる。それはね、私自身が、おかげを受けておると、実際。ですから、私の相手になっておられる皆さんもね。やはり、そのようなおかげを頂いて貰いたい。そして、合楽のおかげ、親先生、あなたのおかげで、いいや、あなたのおかげでと、お礼の言い合えるような仲と言うものを作って行きたいからの事でございます。ためには、まず、一つ、心の確認からです。どうぞ。